模型大隊戦闘日誌、始まるよ!
筆者が唐突に始めたハセガワA帯日本機祭り。
そのトップバッターである紫電改が完成しましたな。
今回も引き続き、ハセガワA帯の日本機を作っていく。
今日はドムの日。
だからドムを作るんじゃないの?
筆者のスケジュールが合わないので、今回は後回し。
昨年はあれほど意識していましたが・・・・・・。
筆者はドム好きだけど、まだここでは1機しか完成させていないね。
とりあえず、まずは航空部隊をサクッと進めていこう。
ハセガワA帯日本機祭りその2 雷電二一型
今回作るのはこちら。
ハセガワより
局地戦闘機 雷電二一型
だ。
真紅の稲妻?
それはジョニー・ライデンですな。
彼の名前の由来の1つだとか。
雷電とは?
1930年代の支那事変の最中、日本海軍は中華民国軍の空爆により基地が被害を受けた。
このことがきっかけで1939年の9月、日本海軍は基地防衛のための戦闘機、十四試局地戦闘機の開発を三菱に提示。
この戦闘機が、後の雷電となる。
雷電の略符号はJ2M。
連合軍によるコードネームはJack(ジャック)
そういえば紫電改の時もそうだったけど、この局地戦闘機って普通の戦闘機とどう違うの?
基地などの拠点防衛のための戦闘機ですな。
主に飛んできた敵爆撃機の迎撃に用いられるため、通常の戦闘機と比較して火力・上昇力を重視、反対に航続距離は短い傾向にあります。
局地戦闘機という名前のほかにも、零戦などの制空戦闘機「甲戦」に対して「乙戦」と呼ばれることもあったのだとか。
ちなみに陸軍では重戦闘機・防空戦闘機とも呼称されています。
零戦でもお馴染みの堀越二郎技師らを中心に開発は進んだ。
ところが様々な問題(主に機体の振動)が発生、開発は難航した。
幾つかの問題が残ったまま、制式採用前の1943年9月から試製雷電として量産が開始、1944年10月には試製雷電が雷電一一型としてようやく制式採用される。
ちなみに今回作るのは二一型。
雷電の最多生産機であり、一一型では胴体に7.7mm機銃2挺、翼内に20mm機銃2挺だった武装を翼内に20mm機銃4挺へと変更している。
・・・・・・戦争終了まで1年を切っているような。
開発指示が出てから5年も経過しているのは気のせいかな?
零戦とは異なる太い胴体が特徴的だけど、これは開発当時小型の高出力発動機がなく一式陸攻などの爆撃・攻撃機用の発動機「火星」を転用した影響によるもの。
前述したとおり制式採用後もいくつか問題はあったものの一定の戦果は挙げており、決して欠陥機ではない。
でも素人が見ると「緑色の日の丸が付いた飛行機はみんな零戦」なんだよね。
そんな零戦とは一味違った局地戦闘機雷電。
比較的入手しやすいハセガワの定番品A帯シリーズにラインナップされているので、今回はそれを作っていこう。
箱の中身を確認する
さて、それでは箱の中身を確認していこう。
内容物はご覧のとおり。
見た感じ普通の飛行機プラモだね。
デカールが相変わらず素のまま。
少し前は単独で袋に入っていたはずですが。
費用の削減か、それとも包装の簡易化か・・・・・・。
ランナーはクリアーランナー1枚を含む3枚。
前回の紫電改と同じような構成となっているんだ。
少しバリが見えるのは気のせいかな?
塗装は2種類。
稲妻マークが印象的な第352海軍航空隊所属の青木中尉機と、厚木にいた第302海軍航空隊所属機となっている。
このキットは途中でプロペラを選択する必要があるので先に決めておこう。
今回は青木中尉機で組む予定だ。
日本機では珍しいマーキングですな。
人気のマーキングなのか、アメリカにあるプレーンズ・オブ・フェイム航空博物館に展示されている機体にも同様の塗装が施されているようだ。
次回、製作開始!
そんなこんなで今回はここまで。
次回から作業に取り掛かろう。
このキット、実は2回ほど筆者が作ったことがあるのだとか。
じゃあ、問題なく進むかな?
ただ、その時はなかなか苦戦したようで・・・・・・。
それって組みにくいんじゃ。
単純に筆者が素人だった時代の話だ。
流石の筆者も腕を上げているはずだし、なにより各メーカーが便利な道具を用意している。
画面の向こうの君たちの中にも、子供の頃上手く作れなかったガンプラ旧キットを、大人になってからカッコよく作れるようになった人がいるだろう?
筆者が始めて作ったガンプラは確かHGUCの量産型ザクだよ。
特に進化した気がするのは接着剤ですかな。
速乾流し込みのおかげで乾燥・切削後の凹みが出来にくくなった気がします。
筆者がどのくらい腕を上げたのか、それもついでに確かめたいところ。
続きは次回!
この記事で紹介しているキット